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仙台高等裁判所 平成6年(ネ)532号 判決 1995年11月27日

控訴人(両事件原告) 宗教法人海蔵寺

右代表者代表役員 A

右訴訟代理人弁護士 香高茂

被控訴人(平成元年事件被告) Y1

同 Y2

同 Y3

同 Y4

同 Y5

同(平成三年事件被告) Y6

同 Y7

同 Y8

被控訴人ら訴訟代理人弁護士 小笠原一男

同 氏家和男

同 小松亀一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人は、原判決の取消を求めた上で、個別的に以下の内容の判決及び「訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

[平成元年事件の主位的請求]

1 被控訴人Y1は、控訴人に対し、原判決添付物件目録二記載1の土地(以下「1の土地」という)を、その地上にある同物件目録三記載1の墳墓(以下「1の墳墓」という)を収去して明渡せ。

2 被控訴人Y2は、控訴人に対し、原判決添付物件目録二記載2の土地(以下「2の土地」という)を、その地上にある同物件目録三記載2の墳墓(以下「2の墳墓」という)を収去して明渡せ。

3 被控訴人Y3は、控訴人に対し、原判決添付物件目録二記載3の土地(以下「3の土地」という)を、その地上にある同物件目録三記載3の墳墓(以下「3の墳墓」という)を収去して明渡せ。

4 被控訴人Y4は、控訴人に対し、原判決添付物件目録二記載4の土地(以下「4の土地」という)を、その地上にある同物件目録三記載4の墳墓(以下「4の墳墓」という)を収去して明渡せ。

5 被控訴人Y5は、控訴人に対し、原判決添付物件目録二記載5の土地(以下「5の土地」という)を、その地上にある同物件目録三記載5の墳墓(以下「5の墳墓」という)を収去して明渡せ。

[平成元年事件の予備的請求]

1 被控訴人Y1は、控訴人に対し、1の墳墓から亡Bの焼骨入骨壺(直径約二一センチメートル、高さ約二四センチメートル、陶製、以下、焼骨入骨壺の形態はすべてこれと同じ)を収去せよ。

2 被控訴人Y2は、控訴人に対し、2の墳墓から亡Cの焼骨入骨壺を収去せよ。

3 被控訴人Y3は、控訴人に対し、3の墳墓から亡Dの焼骨入骨壺を収去せよ。

4 被控訴人Y4は、控訴人に対し、4の墳墓から亡Eの焼骨入骨壺を収去せよ。

5 被控訴人Y5は、控訴人に対し、5の墳墓から亡Fの焼骨入骨壺を収去せよ。

[平成三年事件の請求]

1 被控訴人Y6は、控訴人に対し、原判決添付物件目録三記載6の墳墓(以下「6の墳墓」という)から亡Gの焼骨入骨壺を収去せよ。

2 被控訴人Y7は、控訴人に対し、原判決添付物件目録三記載7の墳墓(以下「7の墳墓」という)から亡Hの焼骨入骨壺を収去せよ。

3 被控訴人Y8は、控訴人に対し、原判決添付物件目録三記載8の墳墓(以下「8の墳墓」という)から亡Iの焼骨入骨壺を収去せよ。

二  被控訴人らは主文同旨の判決を求めた。

第二主張

以下に付加訂正するほかは、原判決事実摘示記載のとおりである。

一  原判決七枚目裏一行目の「主位的に、」の次に「所有権に基づき、」を付加する。

二  同九枚目表一二行目の「抗弁」を「主張」と改める。

三  同一〇枚目裏四行目及び七行目の「元吉郡」を「本吉郡」と改める。

四  同一二枚目裏一〇行目の「主張・抗弁」を「被控訴人らの主張」と、同一一行目の「抗弁」を「主張」と、それぞれ改める。

第三証拠

証拠の関係は原審及び当審証拠目録記載のとおりである。

理由

第一平成元年事件について

一  請求の原因1項は当事者間に争いがない。

同2項中、本件墓地が控訴人の所有であること及び1ないし5の土地が本件墓地の一部に所在していること(ただし、1ないし5の土地が控訴人の所有であるとの点を除く)は当事者間に争いがない。

同3項は、被控訴人らの1ないし5の土地の使用権原が使用貸借であるとの点を除き、当事者間に争いがない。

二  そこで、1ないし5の土地の所有関係及びそれが控訴人の所有であるとした場合の右土地についての被控訴人らの使用権の内容について判断する。

1  成立に争いのない甲第一、第七、第一七、第一八、第二二、第二四号証、乙第一号証の二、三、第二号証、第四号証の一、二、第一六、第一八ないし第二一号証、弁論の全趣旨により成立の真正を認めうる乙第三号証、原審での控訴人代表者及び被控訴人Y6各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 控訴人は、室町時代中期に開山し、五三〇年余にわたり、志津川町戸倉地区(荒町、西戸、折立の三部落)で曹洞宗の寺院として活動してきたものである。控訴人の檀家は約一五二世帯であるが、その他に、墓地使用者たる準檀家も約一九世帯存在する。控訴人の寺では、一般の寺院と同様、その宗派に属する檀信徒に区画を定めて墳墓を築造させ、それを歴代の住職が管理し、死者が出た場合は、曹洞宗の定めに則った典礼及び授戒を施行した上で埋葬等をさせていた。ただ、控訴人の墓地の一部には神葬祭の墓も存在するが、これは、明治初年に墓地埋葬等に関する法制が整備されたのに伴い、従前、墓地でない所に埋葬されていたものを一定の場所に移す必要上、やむを得ずとられた措置である。また、そのほかに、もとは控訴人の宗派に属していたが、その後創価学会に改宗した者の墓も一、二存在する。

(二) 控訴人の寺では、昭和五八年ころ、一八番の墓地が手狭になったため、原判決添付物件目録一記載1の土地(のちの本件墓地)及び二四番一の土地を墓地として造成を行い、昭和五九年春から秋にかけて六〇区画を分譲した。右分譲価格は、一区画二七ないし四二万円とされ、その代金の受領証には、「墓地分譲払込金」と記載されている。被控訴人らは、いずれも控訴人の檀信徒であり、控訴人から1ないし5の土地の分譲を受けたものであるが、その際、控訴人から分譲された墓地は永代使用できるという説明はあったものの、分譲された墓地の所有権を被控訴人らに移転するという話はなかったし、右分譲にかかる墓地について、所有権移転登記はもとより、そのための分筆もされておらず、対象土地の測量図面等も交付されていない。なお、控訴人と被控訴人らとの間で、墓地の使用に関して明確な取決めはなかったし、控訴人の寺院規則にも、墓地使用権又は墓地の管理について定めた規定はない。

(三) 原判決添付物件目録一記載1の土地については、昭和五八年五月一日、地目が畑から墓地に変更されたが、二四番一の土地の地目は畑のままであった。被控訴人らは、1ないし5の土地上にそれぞれの墳墓を建立した。控訴人は、昭和六三年一一月一〇日、同目録一記載1の土地について、墓地埋葬法一〇条の許可申請を行い、同月一五日、右土地は、宮城県本吉郡志津川町長により法人営・共用墓地としての許可がされ、本件墓地となった。以後、本件墓地は、従来からあった一八番の墓地と同様な形で控訴人が管理している。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  右認定事実、ことに、1ないし5の土地の分譲に際し、その対象土地が被控訴人らに所有権移転登記がされていないことはもちろん、そのための分筆もされていないこと、また、本件墓地は、その後、控訴人の申請に基づき、控訴人の法人営・共用墓地として許可がされており、従来からの一八番の墓地と同様な形で控訴人が管理していること等に照らせば、本件墓地の分譲が所有権の譲渡でないことは明らかであり、右分譲後も、1ないし5の土地の所有権は控訴人に帰属しているというべきである。被控訴人らは、右分譲にかかる墓地の登記名義が控訴人のままとなっているのは、墓地埋葬法一〇条の許可が、運用上、個人所有の墓地を原則的に認めない方針となっているためであり、控訴人と被控訴人らの内部関係においては、1ないし5の土地の所有権が被控訴人らに移転していると主張するが、採用し難い。

そこで、右分譲にかかる墓地の使用権の内容につき検討するに、被控訴人らは、いずれも前記のような金銭的対価を払って右土地の使用権を取得したものであるから、それが民法上の使用借権でないことは明らかであり、被控訴人らがいずれも控訴人の檀信徒であったことや、右分譲にかかる墓地についても、控訴人が従前の墓地と同様な形で管理をしていること等に照らせば、被控訴人らは、1ないし5の土地の分譲によって、控訴人の従前の墓地である一八番の墓地の使用権と同一の権原の設定を受けたものと解するのが相当である。そして、前記1(一)の認定事実に鑑みれば、右従前の墓地の使用権は、一般の寺院墓地において、墳墓の所有者が、共葬墓地につき、当該寺院の檀信徒その他これに類する何らかの関係が存続する限り、墳墓所有のために特定の区域の土地を固定的・永久的に使用しうるという内容の権利、すなわち、慣習法上の墓地使用権であると解するのが相当であるから、被控訴人らは、1ないし5の土地につき、控訴人との墓地分譲契約により、右内容の墓地使用権(以下「永代使用権」という)を取得したというべきである。

三  控訴人は、被控訴人らが曹洞宗を離檀したこと、また、被控訴人らが控訴人の典礼によらないで葬儀を執行したこと等を理由に、右1ないし5の土地の使用権原の消滅を主張しているところ、被控訴人らの権原内容として控訴人の念頭にあるのは、直接には民法の使用貸借であるが、弁論の全趣旨に照らせば、予備的には右永代使用権についても、同様の理由による使用権原の消滅を主張する趣旨と解されるので、以下、この点につき判断する。

1  成立に争いのない甲第二ないし第五号証、第九号証の一、二、第一〇号証、第一一及び第一二号証の各一、二、第一三号証、第一四ないし第一六号証の各一、二、第一九及び第二〇号証の各一、二、第四五、第四六、第五一、第八四ないし第八八号証、乙第七、第八、第一二号証、第一三号証の一ないし四、第二二、第二三、第二七号証、弁論の全趣旨により成立の真正を認めうる甲第二一、第二六、第二七号証、乙第五、第六、第九ないし第一一号証(ただし、第一一号証の郵便官署作成部分の成立は当事者間に争いがない)、第一七号証、原審での控訴人代表者及び被控訴人Y6各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 控訴人の住職を四〇年余勤めてきたJは、地元民の信望が厚かったが、昭和五六年一二月一一日死亡し、後継者がいなかったため、宮城県本吉郡津山町の大徳寺住職Kが控訴人の住職を兼務してきた。控訴人の寺院規則には護持会についての定めがあるが、J住職当時は、護持会は結成されておらず、世話人会が檀家との連絡を行っていたものの、あまり積極的な活動をしていなかった。当時の檀家の負担金は年一〇〇〇円であり、ほかに燃料費が年五〇〇円であったが、それだけでは庫裏の増改築や修繕には手が回らず、庫裏の屋根は大きな穴があいて雨漏りがするような状態であり、J住職の死後新たな住職を迎えるに当り、檀家から寄付を募るなどして、庫裏を改築した。なお、控訴人の檀家のある戸倉地区、ことに荒町、西戸の部落は、経済的にはあまり恵まれない地域であり、戦前八割位いた小作農が戦後の農地改革により小作農でなくなってからも、あまり裕福ではなかった。

(二) 昭和六一年三月三一日、控訴人代表者A(以下、氏名だけ、又は「A住職」と表示する)が控訴人の住職に就任した。同人は、宮城県古川市の寺の四男として出生し、大学中退後、宮城県仏教会の常任理事や、財団法人全日本仏教会評議員等の職を歴任してきた者であるが、住職として仕事をするのは控訴人の寺が初めてであった。Aが控訴人の住職となるについては、本吉町の峰仙寺住職Lがこれを斡旋したのであったが、その際には、控訴人の住職を二、三年務めた後は然るべき寺に移り、控訴人住職の後任にはAの実子で弟子でもあるM(以下「M」という)を充てるという約束があったようである。Aは、右就任に当り、控訴人の本堂等建物の修繕と園庭の整備に二〇〇〇万円位をかけたほか、僧侶六〇数名を招いての晋山式とMの首座結制式に一〇〇〇万円位の費用を投じた。このように多額の費用を要する修繕・整備や式の挙行をするについては、檀家三名で構成されている総代会に諮っただけであった。

(三) Aの住職就任後、昭和六一年中に三件の葬儀があった。J住職在任中のときは、いわゆる「御布施」(以下単に「布施」という)は、一回につき数千円あるいは数万円をその都度包み、戒名料は金一封という慣例であり、葬儀の費用は、全体でも五万円から一〇万円、多くても一五万円位であったが、A住職は、布施は一回でまとまった金額にすることを要求したほか、戒名料についても、戒名の種類、段階に応じてではあるが、従前よりもかなり引き上げたため、檀信徒の間に戸惑いが広がった。また、右三件の葬儀のうち、経済的に困窮していた亡Nの葬儀に際しては、遺族の用意した金額が控訴人側の考えていた金額に不足していたことから、Mがその取次ぎをした親戚の者に不足分はその固有の所持金から出すようにと申し入れ、それが檀信徒の反発をかった。また、A住職は、昭和六二年一月からは、戒名料及び布施を或程度基準化し、戒名料については信士、居士等は一〇万円から二五万円、軒號居士、院號居士等は三〇万円から五〇万円、布施の額は前者の場合は五万円から一〇万円、後者については一〇万円から二〇万円としたほか、恩金という名目で客殿使用料を一〇万円程度要求するようになったため、一層、檀信徒の不平、不満が募っていった。控訴人の側では、恩金は、積み立てておき、将来、事業や法要をするときの原資とするつもりであったが、檀信徒の反発が強く、総代からも取り止めるよう申し出があり、結局、八回程徴収しただけで、廃止になった。

(四) このような中で、A住職は、昭和六二年七月一〇日、檀信徒の中から四〇名の準備委員を指名して、護持会設立の準備委員会を開き、控訴人の護持会を設立し、その会長は住職が指名すること、護持会の会費は一世帯月三〇〇〇円とすること、その会計はMが担当することなどの方針を発表した。これに対し、集まった準備委員の側から、反対が出て紛糾したところ、Mが、「文句があるならば、お墓を持って離檀しろ、文句があるなら穴場(墓場)で勝負する」などと発言して応酬した。同月一九日に、二回目の準備委員会が開かれたが、このときも再び話が紛糾し、結局、同委員会は解散になった。同年七月末から同年八月中旬にかけ、檀信徒の有志が何回か部落ごとに集まり、話し合った結果、控訴人との紛争解決のため、委員会を設立することになり、「海蔵寺を考える会特別委員会」(委員長Y6、以下「考える会」という)が発足するとともに、A住職の追放を求める決議がされた。同年八月一五日、考える会は、A住職に対し、恩金の徴収はやめること、布施の金額は寺から提示しないこと、戒名料は、院号、居士は一五ないし三五万円、居士号は一五ないし二五万円、清信士号は一一ないし二一万円、信士号は五ないし一五万円とすること、Mは寺の運営について一切発言しないこと、年一回檀家総会を開くことなどを内容とする要望書を控訴人の総代に提出した。A住職は、同月二〇日過ぎに、これに対して回答し、恩金の廃止や、布施の金額を寺から提示しないことなどについては了承したものの、戒名料や檀家総会の開催等について折り合いがつかず、話し合いはまとまらなかった。

(五) その後、考える会は、一〇〇名以上の檀信徒の署名を集めて、A住職の追放を求める嘆願書を控訴人の責任役員である大徳寺のKらに送付したり、また、「住職の辞職についてお願い」と題する文書を曹洞宗宗務庁総務部宛に送付するなどした。同宗務庁では、A住職と控訴人の責任役員のOから事情聴取の上、同宗務庁総務部福祉課長名で、紛争解決のため、率直な意見交換を望む旨の返答をしているが、その中で、今回の紛争の発端は、布施、戒名料、恩金等の金額にあり、Aが控訴人の住職に就任して短期間の間に、檀信徒の了解を得ないまま、寺院運営を独自の仕方でしようとしたことが紛争の原因であると指摘している。その後、考える会は、再度、A住職の罷免を求める書面を曹洞宗宗務庁宛に送付するとともに、同年一二月に控訴人及び同宗務庁に対し、考える会の集団離檀届を提出したが、いずれも受理されなかった。考える会では、昭和六三年一月には、右離檀の通知書を控訴人に送付した。考える会を通じて集団離檀届を提出したのは控訴人の檀家中、一三六世帯にのぼる。

(六) 右離檀届を提出した被控訴人Y1は、同年四月一二日頃、父Bの葬儀を真言宗海円寺のP住職に依頼して自宅で行った。これは、被控訴人らの地域に他に曹洞宗の寺院がなく、また、地域外の同宗派の寺院に葬儀を依頼することも宗制上できなかったため、やむを得ずとった措置であり、同被控訴人が、曹洞宗から真言宗に改宗したわけではない。葬儀後、同被控訴人は、焼骨入骨壺を1の墳墓に埋蔵するため、本件墓地に赴き、従前の慣行に従い、A住職に埋火葬許可証を提示し、あわせて小俵料を差し出したが、同住職はいずれの受領も拒み、納骨を拒否した。同被控訴人は、同住職が納骨を妨げるために墳墓の納骨堂に紙で封印したものを破棄して、骨壺を埋蔵した。その後、その余の被控訴人らも、各人の自宅において、右P住職に依頼して葬儀を行った後、本件墓地に赴いて埋葬許可証を提示し、小俵料を差し出した後、納骨した。控訴人は、昭和六三年五月から平成元年二月にかけ、被控訴人らに対し、1ないし5の土地の土地の使用権が消滅したとして、墓地を原状に復し、返還することを求める内容証明郵便を出した。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  右認定事実に基づき、本件で、被控訴人らの1ないし5の土地についての永代使用権が消滅したといえるか否かについて検討する。

前記二で認定し考察した寺院墓地についての永代使用権は、当該寺院所属の宗派の定めに則った典礼の施行と密接に結び付いているものであり、その墓地に埋葬されるのは、原則として、その寺院の檀信徒であることが予定されているというべきであるし、墓地管理者たる当該寺院は、その墓地への埋葬を認めるに当っては、当該宗派の定めに基づく典礼を施行する慣例になっているというべきである。しかし、他方、永代使用権は、祭祀承継者によって代々受け継がれる墳墓の所有権と密接な関係を有するものとして、一代限りや限時的なものではないという意味での永久性を持つものであり、また、墓地埋葬法が、墓地外への埋葬を禁ずるとともに、墓地の経営主体を都道府県知事の許可を受けた特定の者に限定し、墓地管理者には、正当な理由なく埋葬を拒んではならない旨を定め、公衆衛生その他公共の福祉に合致するように墓地の運営が行われるべきことを定めていること等からすれば、寺院墓地の管理者は、従来から寺院墓地に先祖の墳墓を有する者が改宗離檀の意思表示をしたり、自派の定めによる典礼を受けないで埋葬したからと言って、直ちに、そのことのみを理由として、永代使用権の消滅を主張し、その墳墓の収去を求めることはできず、檀信徒側で改宗離檀を表明したことや、他宗派ないし他宗教からの典礼を受けたことが、真に信仰上、宗教上の考え方とか立場が変わってしまって、当該寺院との関係を断ち切ろうとする意思の徴憑であることが明確になった段階で初めてなしうることと解するのが相当である。

本件についていうと、被控訴人らが控訴人の檀家を離れる意思表示をしたのは、前記1認定のような経緯のもとで、新たに控訴人代表者となったA住職との間に、布施や戒名料の金額、恩金の徴収等をめぐって紛議が生じ、Mの挑発的言辞も加わってそれがこじれ、同住職の罷免を求めるまでになっていたという理由に基づくものであるし、被控訴人らが控訴人宗派の定めに則った典礼を受けることなく、本件墓地に焼骨入骨壺を埋蔵するに至ったのも、その紛争が未解決の間に、身内の葬儀をとり行う必要が生じ、宗制上、同地域の他の曹洞宗の寺院に典礼を依頼することもできなかったという事情に基づくものであって、被控訴人らが真に曹洞宗から他宗派に改宗する意思があったとは認め難く、小俵料を差し出したことからしても控訴人との関係を断ち切る意思もなかったことが読みとれるのであるから、このような被控訴人らの行為を理由に、控訴人が永代使用権の消滅を主張することができないことは明らかである。

したがって、控訴人の主位的請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  次に、控訴人の予備的請求について検討するに、右請求は、被控訴人らが控訴人の典礼を受けないで、1ないし5の墳墓に焼骨入骨壺を埋蔵したことが控訴人の墓地管理権を侵害するものとして、その収去を求めるものである。

前記のように、寺院墓地についての永代使用権は、当該寺院の宗派、典礼と密接に結び付いているものであり、墓地管理者たる当該寺院は、その墓地に埋葬することを認めるに当っては、当該宗派の定めに基づく典礼を施行する慣例になっているのであるから、離檀等をした者が、右典礼の施行を受けずに墓地への焼骨の埋蔵を求めてきた場合には、それが寺院の宗教的感情と慣行を損ない、且つ前述の如き檀信徒側の意思が明確になっている限り、原則として、これを拒絶できると解される。しかし、そのことと、すでに埋蔵された焼骨の収去を寺院側が求めることができるか否かは別個の問題であり、前記のように、墓地埋葬法が、墓地管理者に埋葬等を原則的に受け入れるべき義務を課し、公衆衛生その他公共の福祉に合致するように墓地の運営がされるよう規定していること等からすれば、相手方において他に墓地や納骨所等を確保ないし準備しているような場合は別として、右の如く埋蔵を拒絶できる場合であっても、墓地管理者が、すでに埋蔵された焼骨の収去を求めることは、墓地管理者に課された公益的義務に反するものであり、正当な墓地管理権の行使の範囲に含まれるとは解し難い。

また、仮に、墓地管理権に基づき、埋蔵焼骨の収去請求をなしうる場合があるとしても、本件で、被控訴人らが控訴人の典礼によらずして焼骨入骨壺の埋蔵を行ったのは、控訴人と宗教的信条を異にするに至ってその檀家であることから離れたとか、控訴人の寺院慣行を無視したりこれに背いたとかいうものではなく、A住職との寺院経営の姿勢をめぐる確執の過程において、やむを得ずとられた措置であることが明らかであり、このような場合に、控訴人が、被控訴人らの埋蔵した焼骨入骨壺の収去を求めることは権利の濫用に該当するというべきである。もっとも、右紛争の過程においては、考える会の側にも行きすぎた言動や硬直した姿勢のあったことは否定しえないが、前記三1認定の諸事実からすれば、右紛争の発端とその主たる原因は、A住職の側にあったことが明らかであり、この点も右判断を左右するものではない。

したがって、控訴人の予備的請求も理由がない。

第二平成三年事件について

一  弁論の全趣旨によれば、請求原因1項の事実が認められる。

同2ないし4項は当事者間に争いがない。

同5ないし7項は、埋蔵について控訴人に無断でとの点を除き、当事者間に争いがなく、右埋蔵の経緯は、前記第一の三1認定のようなものと認められる。

二  控訴人は、被控訴人らが控訴人の典礼を受けないで、6ないし8の墓地に、それぞれ焼骨入骨壺を埋蔵したことが、控訴人の墓地管理権を侵害するものとして、その収去を求めているが、その請求が理由のないことは、第一の四記載のとおりである。

第三よって、原判決は相当であるから、民訴法三八四条により本件控訴を棄却し、控訴費用の負担について同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林啓二 裁判官 及川憲夫 裁判官 小島浩)

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